マッキントッシュへの憧れ – 1980年代、手の届かない夢を追いかけて

980年代後半、憧れのMacintosh──手の届かぬ夢に焦がれて

1980年代後半、私がまだ学生だった頃のこと。渋谷のコンピュータショップの片隅に、まるで異世界からの使者のように佇んでいたApple Macintosh(マッキントッシュ)との出会いは、今でも鮮明に記憶に残っています。

当時約100万円という価格は、アルバイト代を貯めていた私にとって天文学的な数字でした。月々のお小遣いの何年分にも相当する金額です。それでも、初めてそのコンピュータの前に座った瞬間、理性よりも感情が先走りました。

モノクロの小さな画面に映し出されたグラフィカルユーザーインターフェース。マウスを動かすと追随するポインタ。クリックするだけで操作できる直感的な設計。それまでMS-DOSのコマンドラインに慣れていた私にとって、Macintoshの世界は魔法のように思えました。

「これが未来のコンピュータだ」

その確信は、高価格という現実的な壁を越えて、私の心を強く捉えました。当時流行していた雑誌「Mac Fan」や「MacPower」を毎月欠かさず購入し、ページをめくるたびに憧れは増すばかり。MacPaintやHyperCardのデモを見ては、「いつか必ず手に入れる」と誓うのでした。

友人との会話も、いつしかMacintoshの話題一色に。「もし買えたら、まず何をする?」「デザインの仕事ができるかな」「音楽制作も可能らしいよ」。現実には手の届かない夢を、言葉だけで膨らませていました。

親にねだってみたこともありました。「大学に入ったら必要になる」という言い訳をつけて。しかし、「そんな高価なものは無理だ」と一蹴されたのは当然のことでした。

それでも諦めきれず、中古品市場を調べたり、分割払いのシミュレーションをしたり。アルバイトの時給から計算すると、食費を削って500日以上働かなければならない計算になりました。現実的ではありませんでした。

しかし、この「手に入れられない」という状況が、逆に私のMacintoshへの憧れを増幅させたのかもしれません。禁断の果実は甘く見えるものです。友人の中には裕福な家庭の子がいて、実際にMacintoshを持っていましたが、彼の使い方を見ても「もったいない」と思うほど、私の中ではMacintoshの価値が神格化されていました。

振り返れば、あの時の憧れは単なるガジェットへの欲求ではなく、新しい可能性への渇望だったのでしょう。Macintoshが体現していたのは、テクノロジーの民主化、創造性の解放、そして従来の常識を覆す革新性でした。

結局、学生時代にMacintoshを手に入れることはできませんでした。社会人になって初めて自分の給料で購入したときには、すでに1990年代半ばになっていました。でも不思議なことに、実際に手に入れた喜びよりも、あの憧れていた日々の方が鮮やかな記憶として残っています。

欲しくても手が届かなかったものへの憧憬は、時に所有することよりも価値のある経験になるのかもしれません。Macintoshへの無謀な夢は、私にテクノロジーの可能性を教えてくれました。そして何より、「いつか必ず」という強い意志を持つことの大切さを。

今、手元のMacを使いながら時々思い出します。あの頃の自分を。100万円の壁に阻まれながらも、技術の未来に心躍らせていた若き日の情熱を。