先日、実家の片付けをしていたときに、古い本棚から一冊の本が目に留まりました。背表紙の金文字が少し薄れた『恋愛論』。スタンダールの名作です。手に取った瞬間、四十数年前の大学時代の記憶が鮮やかによみがえってきました。
大学2年生の冬、私は文学部の教授に勧められてこの本を手に取りました。当時の私は、恋愛というものについて漠然とした憧れを抱きながらも、実際にはまだ経験の浅い青年でした。そんな時期に出会ったスタンダールの『恋愛論』は、私にとって衝撃的な一冊でした。
最初のページを開いたとき、「結晶作用」という言葉に戸惑ったことを覚えています。恋愛が始まると、相手の欠点さえも美点に見えてくる現象を、スタンダールは塩の結晶化になぞらえて説明していました。「なるほど、だからあの時の自分は…」と、いくつかの恋愛経験を持つ大学生だった私は、自分の感情を科学的に解剖されたような不思議な感覚を覚えたものです。
特に印象に残っているのは、スタンダールが提示した「恋愛の四段階」です。「感嘆」「快楽の予感」「希望」「恋の喜び」。これを読んだ当時の私は、同じ演習に参加していた女子に密かな思いを抱いていました。彼女の意見を聞くたびに胸が高鳴り、ゼミ後のわずかな会話の一つ一つが宝物のように感じられていました。スタンダールの言葉を通して、自分の感情が「恋愛」という名の普遍的な経験の一部であることを知り、なぜか安心したものです。
本の中で私が最も惹かれたのは、スタンダールが分類した「四つの恋」でした。「情熱恋愛」「趣味としての恋愛」「肉体的恋愛」「虚栄心からの恋愛」。大学生だった私はもちろん、純粋な「情熱恋愛」こそが理想だと信じていました。他の三つはなんとなく下等なものに思えたのです。しかし今、社会人として経験を積んだ私は、人間の感情というものがそう単純に分類できるものではなく、時にはこれらが複雑に絡み合うことも理解できるようになりました。
『恋愛論』を読み進めるうちに、当時の私は少し洗練された気分でした。カフェでこっそり本を開き、友人たちとのディスカッションの中で、さも自分が恋愛について深い洞察を持っているかのように振る舞ったこともありました。今思えば少し滑稽ですが、その時の真剣さは本物だったと思います。
放課後の大学図書館で、窓から差し込む夕日を浴びながらページをめくっていた時間は、今でも私の中で特別な記憶として残っています。レポート作成の合間を縫って読み進めた『恋愛論』は、単なる恋愛指南書ではなく、人間の心理や社会、文化についての深い考察を含んだ本であることに、少しずつ気づいていきました。
スタンダールが19世紀初頭に書いた内容が、21世紀の日本に生きる大学生の心にも響くということに、文学の持つ普遍性を感じました。同時に、当時のフランス社会と現代日本の違いも興味深く、時代や文化を超えた「恋愛」という現象について考えるきっかけにもなりました。
特に印象深かったのは、スタンダールが描く恋愛の苦悩です。「相手に会えない時間が長ければ長いほど、恋は深まる」という指摘に、留学中の恋人を待つ友人の話を思い出したものです。また、「恋する者は常に不安を抱える」という洞察は、自分の中の漠然とした感情を言語化してくれたように感じました。
大学4年生になると就職活動が本格化し、『恋愛論』は本棚の奥にしまわれることになりました。しかし、その内容は私の中に確かに根付いていたのです。社会人になり、実際の恋愛経験を重ねるたびに、スタンダールの言葉を思い出すことが何度もありました。
時には「この感情はスタンダールの言う『結晶作用』そのものだ」と自分を客観視することで、冷静さを取り戻すこともありました。また別の時には「これは『虚栄心からの恋愛』ではないか」と自分の感情を疑うきっかけにもなりました。『恋愛論』は私にとって、単なる古典作品ではなく、自分の感情を理解するための道具となっていたのです。
あれから四十数年が経ち、私も様々な恋愛を経験しました。幸せな時も、辛い時も、スタンダールの言葉が心の片隅にあったように思います。そして今、還暦を迎える今だからこそ、改めて『恋愛論』を読み返したくなりました。
あの頃は難解に感じた部分も、今なら違った角度から理解できるのではないかと思います。また、当時は理解できなかった「情熱恋愛の終焉」についての記述も、これまでの経験を通して新たな発見があるかもしれません。
大学生だった私がこの本から得たものは、恋愛についての知識だけではなく、人間の感情や心理への関心だったのかもしれません。結果的に、私が心理学の大学院に進むきっかけとなったのも、この『恋愛論』との出会いがあったからこそだと思うのです。
本棚から取り出した『恋愛論』を、私はそっと開きました。当時書き込んだ下線や、メモ書きが目に入ります。学術的な感想や疑問点、時には「要検討」という真面目な書き込みまで。大学生だった自分の知的好奇心が、今の私には愛おしく感じられます。
これから数日かけて、再び『恋愛論』を読み進めてみようと思います。大学生の時とは違う視点で、きっと新たな発見があるはずです。そして、当時の自分が感じた驚きや感動を、もう一度味わってみたいと思います。文学の素晴らしさは、読み手の成長とともに、同じ本からでも異なる価値を見出せることにあるのかもしれません。
スタンダールの『恋愛論』は、私にとって単なる古典作品を超えた、人生の伴走者のような存在です。大学時代に出会えたことを、今でも心から感謝しています。