ライオン社の「早稲田進学」が紡いだ青春の軌跡 ~昭和から平成へ、受験生たちの夢と憧れ

はじめに

昭和52年(1977年)から平成8年(1996年)まで、約20年の長きにわたり高校生や浪人生の心を掴んだ一冊の雑誌があった。ライオン社から発刊されていた「早稲田進学」である。当時の受験生たちにとって、この雑誌は単なる受験情報誌ではなく、夢への道標であり、時に心の支えともなっていた。今回は、この伝説的な雑誌が若者たちに与えた影響と、そこに込められた時代の空気を振り返ってみたい。

誕生と時代背景

「早稲田進学」が創刊された1970年代後半は、日本の高度経済成長期が終わりを告げ、安定成長期へと移行する転換期であった。教育熱が高まり、「受験戦争」という言葉が社会に定着し始めた時代でもあった。早稲田大学は当時から文学、政治経済、法学など多彩な分野で名声を博し、多くの若者が憧れる存在だった。

そんな中、ライオン社は早稲田大学を目指す受験生たちに特化した情報を提供する専門誌として「早稲田進学」を世に送り出した。創刊号の表紙には「早稲田を目指す君たちへ」というキャッチコピーが躍り、その内容は受験テクニックだけでなく、早稲田大学の校風や学生生活、著名な卒業生のインタビューなど、多岐にわたっていた。

黄金期の「早稲田進学」

1980年代、バブル経済の到来とともに「早稲田進学」は最盛期を迎える。発行部数は月間10万部を超えたといわれ、全国の書店の教育・受験コーナーで必ず目にする存在となった。特に増刊号の「合格体験記特集」は毎年完売続出の人気企画だった。

当時の読者だった筆者たち世代の受験生は、高校1年生の冬、初めて手に取った「早稲田進学」の魅力に取り憑かれた者も多い。真新しい雑誌のページをめくるたび、早稲田キャンパスの写真や学生たちの生き生きとした表情に、都会の大学で学ぶ自分の姿を重ね合わせていた。地方の高校に通う筆者たち世代の受験生にとって、この雑誌は東京という未知の世界への窓であり、夢を具体化してくれる存在だった。

「早稲田進学」の魅力と特徴

同誌の最大の特徴は、単なる受験情報の提供に留まらない、「早稲田という世界」の全体像を描き出す編集方針にあった。主な内容を振り返ってみよう。

1. 充実した学部別情報

早稲田大学の各学部の特色、カリキュラム、ゼミ情報などが詳細に紹介されていた。特に「学部別ガイド」のコーナーでは、現役の教授や学生へのインタビューを交え、各学部の雰囲気を生き生きと伝えていた。私が特に興味を持っていた政治経済学部の記事では、ディベート大会の様子や国際交流プログラムの体験談などが掲載され、具体的な学生生活をイメージすることができた。

2. 合格体験記と学習法

毎号の看板企画が「合格者インタビュー」と「勉強法特集」だった。地方出身者や現役合格者、再挑戦組など、様々な背景を持つ合格者たちの体験談は、読者に「自分にもできるかもしれない」という希望を与えた。

筆者たち世代の受験生は特に、地方の進学校から早稲田政経学部に現役合格した先輩の体験記に感銘を受けた者が多い。彼の「授業を大切にしながらも、自分なりの問題意識を持って学ぶことが大切」という言葉は、単なる暗記に終始しがちだった筆者たち世代の受験生の勉強法を見直すきっかけとなった。

3. キャンパスライフの紹介

「早稲田進学」が他の受験雑誌と一線を画していたのは、合格後の学生生活を豊かに描いていた点だ。サークル活動、学園祭、アルバイト事情、下宿生活など、大学生活の様々な側面が紹介されていた。特に「早稲田周辺散策」のコーナーでは、高田馬場や早稲田周辺の名物店や学生に人気のスポットが写真とともに紹介され、読者は仮想キャンパスツアーを楽しむことができた。

4. 著名な卒業生によるエッセイ

作家、政治家、経営者、ジャーナリストなど、様々な分野で活躍する早稲田大学の卒業生が寄稿するエッセイは、同誌の知的な魅力を高めていた。彼らの学生時代のエピソードや、早稲田で学んだことが現在にどう生きているかといった話は、単なる「受験」を超えた大学教育の意義を考えさせるものだった。

昭和63年の夏号に掲載された小説家による「早稲田での4年間が私の原点」というエッセイは、筆者たち世代の受験生の進路選択に大きな影響を与えた。彼の「さまざまな価値観を持つ人々との出会いが、作家としての視野を広げてくれた」という言葉は、大学を単なる就職のためのステップではなく、自己形成の場として捉える視点を与えてくれた。

受験生の心を掴んだ理由

「早稲田進学」が多くの受験生の心を掴んだ理由はなんだったのだろうか。

1. 具体的な目標の提示

同誌は「早稲田大学」という具体的な目標を示すことで、漠然とした受験勉強に明確な方向性を与えた。「早稲田に合格する」という目標は、長い受験勉強を乗り切るための強力なモチベーションとなった。

2. コミュニティ感覚の提供

「早稲田進学」の愛読者たちは、全国に散らばりながらも「早稲田を目指す仲間」としての連帯感を持っていた。読者投稿コーナーでは、悩みや不安、勉強法などが共有され、孤独な受験勉強の中で大きな支えとなっていた。

3. 夢と現実のバランス

同誌の魅力は、夢を見せながらも現実的なアドバイスを提供していた点にある。華やかなキャンパスライフを描きつつも、そこに至るための具体的な学習法や時間管理術など、実践的な情報も豊富だった。「夢」と「現実」のバランスが絶妙だったのである。

平成の変化と廃刊

平成に入ると、受験情報誌を取り巻く環境は大きく変化していく。バブル経済の崩壊とともに就職氷河期が訪れ、「どの大学に入るか」だけでなく「どのような能力を身につけるか」という視点が重視されるようになった。また、少子化の進行により受験生人口も減少し始めた。

さらに、インターネットの普及により情報入手の手段が多様化し、紙媒体の受験情報誌の役割は徐々に小さくなっていった。平成8年(1996年)、約20年の歴史に幕を閉じた「早稲田進学」だが、その影響は廃刊後も長く受験生たちの間で語り継がれている。

「早稲田進学」が遺したもの

同誌が残した最大の遺産は、単なる「合格」を超えた「大学で学ぶ意義」を問いかけたことだろう。受験テクニックだけでなく、大学で何を学び、どのような人間に成長したいかという視点を読者に与えてくれた。

また、地方の高校生にとって、都会の大学生活を具体的にイメージする貴重な情報源となり、多くの若者の視野を広げた功績も大きい。筆者たち世代の受験生は、この雑誌を通じて初めて「早稲田」という具体的な目標を持ち、それが学習意欲の原動力となった。

おわりに

「早稲田進学」は単なる受験情報誌を超えた、昭和から平成にかけての若者たちの青春の証言録でもあった。それは受験というプロセスを通じて、若者たちが自らの可能性と向き合い、未来を描く手助けをしていた。

今でも時々、古書店で黄ばんだ「早稲田進学」を見かけることがある。その表紙には、当時と変わらない早稲田大学の象徴的な建物や、真剣な表情で学ぶ学生たちの姿が映し出されている。そこには時代は変わっても変わらない、若者たちの夢と希望、そして不安が詰まっているように思える。

デジタル全盛の現代では得難い、紙の雑誌ならではの温かみと重みを持っていた「早稲田進学」。その記憶は、今もなお多くの卒業生や元受験生たちの心の中で、青春の一ページとして生き続けている。