懐かしの「ラジオの製作」~電波新聞社が紡いだ電子工作の黄金時代

電波新聞社の青春を照らした技術雑誌

真夏の午後、祖父の家の物置を整理していた時のことです。埃をかぶった段ボール箱の奥から、黄ばんだ雑誌の束が現れました。そこには「ラジオの製作」と題された、昭和の匂いを色濃く残す雑誌が何十冊も大切に保管されていました。祖父が若かりし頃の宝物だったのでしょう。その瞬間、忘れかけていた自分の少年時代の記憶が、まるで古いラジオのダイヤルが合わされたかのように鮮明に蘇ってきました。

電子工作文化の源流

電波新聞社から昭和29年(1954年)に創刊され、平成11年(1999年)まで発行されていた「ラジオの製作」は、戦後の日本における電子工作文化の源流とも言える雑誌でした。太平洋戦争後、日本の電子工業が復興する中で、若者たちの間で電子工作への情熱が高まっていった時代。その熱を受け止め、育てたのが「ラジオの製作」だったのです。

当時の若者たちにとって、ラジオは単なる情報受信機器ではなく、科学と技術の結晶であり、未来へのパスポートでした。「ラジオの製作」は、素人でも理解できる回路図や部品リスト、組み立て方法を丁寧に解説した記事を掲載し、多くの青少年の科学への扉を開きました。

学生時代の思い出

私が中・高校生だった昭和40年代後半、友人たちと「ラジオの製作」を囲んで過ごした放課後の時間は、かけがえのない思い出となっています。学校の図書室に置かれた最新号は、いつも誰かに借り出されていて、予約待ちの状態でした。幸運にも手に入れた号は、教室の机の上で回し読みされ、特に面白そうな回路図のページは何度もめくり返されました。

「今度の日曜、この短波ラジオを作ってみませんか」 「私は増幅器の方に挑戦します」

そんな会話が交わされ、週末になると秋葉原の電気街に集合し、必要な部品を買い求めました。当時、秋葉原はまだ現在のような観光地ではなく、本物の電子部品マニアたちの聖地だったのです。「ラジオの製作」の該当ページを開きながら、抵抗器やコンデンサ、トランジスタを一つずつ揃えていきます。時には予算オーバーで、友人と共同購入することもありました。

社会人となってからの楽しみ

大学を卒業し、社会人となった平成年代。仕事の合間を縫って続けていた電子工作の指南書は、相変わらず「ラジオの製作」でした。会社の昼休みに同僚と雑誌を囲んで、週末の制作計画を立てるのが恒例行事となっていた時期もあります。

「このステレオアンプなら、市販品より音質が良くなるかもしれませんね」 「でも部品代だけで結構しますね…」 「それでも自分で組み立てる満足感は買えないでしょう」

当時はまだインターネットもなく、新しい回路や部品の情報を得るには、「ラジオの製作」のような専門雑誌が唯一の窓口でした。毎月の発売日が待ち遠しく、書店に足を運ぶのが楽しみでした。

進化する技術との歩み

「ラジオの製作」は、時代の変化とともに扱う内容も進化していきました。創刊当初の真空管式ラジオの組み立てから、トランジスタラジオ、そしてICを使った電子回路、さらにはマイコンを使ったデジタル回路まで、常に最新の技術を分かりやすく解説してくれました。

昭和60年代に入ると、パソコンブームの到来とともに、「ラジオの製作」もコンピュータ関連の記事を増やしていきました。自作パソコンの組み立て方や、周辺機器の自作方法なども掲載されるようになりました。しかし、その本質は常に「自分の手で作る楽しさ」を伝えることにありました。

伝説のプロジェクト

「ラジオの製作」が生み出した数々の伝説的なプロジェクトがあります。中でも忘れられないのは、昭和37年に連載された「トランジスタラジオ工作シリーズ」です。当時最先端だったトランジスタ技術を使い、初心者でも作れる受信機の製作法を詳細に解説したこのシリーズは、多くの若者を電子工作の世界へと導きました。

また、昭和50年代後半の「ステレオアンプ大作戦」は、当時の音響マニアを熱狂させました。オーディオ機器が高級化し始めた時代に、自作でハイエンドに匹敵する音質を実現する方法を紹介したこの特集は、今でも語り継がれています。

私自身、この特集に触発されて作ったアンプは20年以上使い続け、今でも実家の押入れに大切にしまってあります。音質の良さもさることながら、自分の手で作り上げた誇りがそこにはあるのです。

平成への移行と終焉

バブル経済が崩壊し、平成の時代に入ると、電子工作を取り巻く環境も大きく変わっていきました。電子部品は小型化・高集積化し、素人が半田ごてで組み立てるのが難しい時代となりました。また、既製品の価格が下がり、自作するメリットも減っていきました。

「ラジオの製作」も時代の変化に対応しようと、内容を変えていきましたが、平成11年(1999年)、ついに休刊となりました。45年にわたって多くの技術者やマニアを育ててきた歴史ある雑誌の終焉でした。

遺産と影響

「ラジオの製作」は姿を消しましたが、その精神は形を変えて生き続けています。現在のメイカームーブメントや、Arduino、Raspberry Piなどを使った電子工作の流行は、「自分の手で作る喜び」という、「ラジオの製作」が育んできた文化の延長線上にあるのです。

また、「ラジオの製作」で育った世代が、今度は指導者として次世代の若者たちに電子工作の面白さを伝えています。私の教え子の中にも、学校の科学部で電子工作に熱中し、将来はエンジニアを目指す者が何人もいます。彼らに「ラジオの製作」の話をすると、「今でもそんな雑誌が欲しい」と言われることが多いのです。

デジタル時代の「ラジオの製作」精神

インターネットが発達した現代では、電子工作の情報は容易に手に入るようになりました。YouTubeには無数の解説動画があり、専門サイトでは回路図や部品リストが公開されています。しかし、それらの情報は断片的で、体系的に学ぶには不十分なことも多いのです。

そんな中、「ラジオの製作」のような、入門者から上級者まで段階的に学べる媒体の価値が再認識されつつあります。デジタルアーカイブとして過去の記事を復刻する動きもあり、電子工作コミュニティで話題となっています。

おわりに

「ラジオの製作」は単なる技術雑誌ではなく、昭和から平成にかけての日本の科学技術文化を象徴する存在でした。戦後の復興期から高度経済成長期、そして情報化社会への移行まで、常に時代の先端を走りながらも、「自分の手で作る喜び」という本質を見失わなかったのです。

今、祖父の残した「ラジオの製作」のコレクションを眺めながら、私は考えます。テクノロジーは進化しても、人間の創造性と好奇心は変わらないのです。「ラジオの製作」が教えてくれたものづくりの精神は、形を変えながらも、これからも受け継がれていくことでしょう。

黄ばんだページをめくると、懐かしい回路図と詳細な解説が目に飛び込んできます。そこには、電子工作に魅了された少年たちの夢と情熱が、今もなお息づいているのです。