(続シャープ製マイコン)X68000への憧憬 – 昭和の青年が見た究極のマイコンへの道のり

間違い箇所

弊社記者が記憶で投稿しましたが、事実誤認の箇所が多いようです。
お詫び申し上げます。

@jun_68030様 入力ミス発見。XVIは68020ではないです。

@seiryux68様 う~ん、熱意は感じるけど細かな内容がいろいろ違う気がする……………

シャープX68000 – プロフェッショナル仕様の美しきモンスターマシンとの出会い

こんにちは、前回の記事「昭和の高校生が抱いたシャープ製マイコンX1ターボへの無限の夢」を書いた者です。前回はX1ターボとの出会いから購入に至るまでの熱い思いを綴りましたが、今回はその後の私とシャープ製コンピュータとの物語、特に伝説的な「X68000」との出会いについて、長々と語らせていただきたいと思います。

大学時代の転機

大学2年生で念願のX1ターボを手に入れた私は、毎日のようにプログラミングに没頭していました。BASICから始まり、徐々にZ80アセンブラにも挑戦し、簡単なゲームやユーティリティプログラムを作成しては友人たちに見せびらかす日々でした。しかし、そんな私のコンピュータライフに大きな転機が訪れたのは大学3年生の秋、1987年のことでした。

ある日、いつものように秋葉原をぶらついていた私は、とあるショップのウィンドウに展示された一台のコンピュータに釘付けになりました。それは今まで見たこともないような洗練されたデザインのマシンで、黒を基調としたプロフェッショナルな筐体、そして何より「X68000」という名称が輝いていました。

X68000の衝撃的なスペック

その場で私は店員さんにX68000のカタログをねだり、その内容に驚愕しました。当時の一般的なパソコンとは比較にならない高性能を誇っていたのです。

まずCPUはモトローラ68000(クロック10MHz)、メモリは標準1MB(最大12MBまで拡張可能)。グラフィック機能は最大512×512ドット16色(スプライト機能搭載)、サウンドはFM音源8音+ADPCM1音という、当時としてはまさに夢のようなスペックでした。特に驚いたのは、OSが「Human68k」という本格的なUNIXライクなマルチタスクOSだったことです。X1の時代から考えると、まさに隔世の感がありました。

価格は標準構成で328,000円(モニター別)。当時の新卒初任給が13~15万円程度の時代ですから、いかに高価なマシンだったかがわかります。X1ターボを購入したばかりの私には、到底手の届かない金額でした。

憧れから研究へ

X68000を前にして、私は再び「このマシンを手に入れたい」という強い衝動に駆られました。しかし、今回は単なる憧れだけで終わらせたくありませんでした。X1の時とは違い、大学生になった私はもっと具体的な目標を設定したのです。

「X68000で本格的なソフトウェアを開発し、将来はプロのプログラマーになる」

この目標を達成するため、私はまず大学の情報処理センターに通い詰め、そこのUNIXマシンでC言語を学び始めました。X68000のOSであるHuman68kはUNIXライクな環境だったため、UNIXの知識がそのまま活かせると考えたからです。

また、アルバイトも増やし、家庭教師にコンビニ、さらにはプログラミングの受託作業まで始めました。当時はまだ学生がプログラミングで収入を得ることは珍しかったのですが、X1ターボで培った技術を活かし、小さな業務システムやゲームの制作を請け負っていたのです。

衝撃の体験 – アーケードゲーム品質のグラフィック

X68000への憧れがさらに強まったのは、大学4年生の時に友人から借りて実際に触れた時のことでした。その友人は裕福な家庭で、親にねだってX68000を購入してもらったという幸運児でした。

初めてX68000の電源を入れた瞬間、私はそのグラフィック性能に息を飲みました。当時流行っていたアーケードゲーム「ファイナルファイト」のような高品質なグラフィックが、家庭用コンピュータで再現されていたのです。スプライト機能による滑らかなアニメーション、FM音源による迫力あるBGM、そして何よりもプログラムから直接これらの機能を制御できる自由度の高さに、私は完全に魅了されてしまいました。

「これこそが本当のコンピュータだ」と感じた瞬間でした。X1ターボも確かに素晴らしいマシンでしたが、X68000は別次元の存在でした。プロフェッショナル向けに設計されたその完成度は、当時のパソコン市場においても群を抜いていたのです。

就職活動とX68000

大学4年生になり、就職活動が始まった時、私は迷わずコンピュータ関連の企業を志望しました。面接では必ずX1ターボとX68000の話をし、自分で作成したプログラムのリストを見せていました。当時はまだ「パソコンを業務に活用する」という考え方が一般的ではなかったため、面接官からは「趣味と仕事は別物だ」と言われることも多かったのです。

しかし、ある中堅ソフトウェア会社の面接で、技術部長が私のX68000への情熱を高く評価してくれました。「これからの時代は、君のような若者が必要だ」という言葉は、今でも忘れられません。結局、私はその会社に内定をいただき、卒業後はプロのプログラマーとしての道を歩むことになったのです。

社会人になってからのX68000購入

就職が決まり、初任給をもらった私は、真っ先にX68000を購入するため貯金を始めました。社会人になると学生時代よりも自由に使えるお金が増えたとはいえ、X68000本体に加えて専用モニターや周辺機器を揃えるとなると、軽く50万円は超える計算でした。

入社から半年が経った頃、ついに貯金が目標額に達し、私は週末に秋葉原へ向かいました。当時はまだ大型家電量販店が少なく、専門店で購入するのが一般的でした。店頭には最新モデルの「X68000 XVI」が展示されており、CPUが68000(10MHz)から68020(16MHz)にパワーアップしていました

「いらっしゃいませ、どれかお探しですか?」と声をかけてくれた店員さんに、私は「X68000 XVIの標準構成で、モニターも一緒にお願いします」と伝えました。店員さんは驚いたように「お、詳しい方ですね。業務用ですか?」と聞いてきました。当時、X68000を個人で購入する人はほとんどいなかったのです。

「いえ、自宅用です。ずっと憧れていたんです」と答えると、店員さんは感心したように「それはすごい。ぜひ頑張ってください」と笑顔で言ってくれました。その言葉に、私は胸が熱くなるのを感じました。

自宅でのX68000生活

X68000を自宅に設置した日、私は子供の頃のクリスマスのような興奮を覚えました。箱を開け、慎重にマシンを取り出し、モニターと接続する手は震えていました。初めて電源を入れた時の「ピッ」という起動音と、黒い画面に表示された「Human68k」の文字は、今でも瞼に焼き付いています。

それからの毎日が本当に楽しかったです。会社から帰るとすぐにX68000の前に座り、本や雑誌を参考にしながらプログラミングを続けました。当時はまだインターネットが一般的ではなかったため、情報源は雑誌や専門書が中心でした。特に「Oh!X」という雑誌はX68000特集が多く、毎号欠かさず購入していました。

会社の業務ではまだ汎用機を使ったCOBOLプログラミングが中心でしたが、自宅ではX68000でC言語やアセンブリ言語を使い、ゲームやユーティリティソフトの開発に没頭しました。特に力を入れたのはグラフィック関連のプログラミングで、スプライトを使ったアニメーションやスクロール処理の研究には多くの時間を費やしました。

X68000コミュニティとの出会い

X68000を購入してからしばらく経った頃、私はX68000ユーザーの集まる小さなコミュニティに参加するようになりました。当時はまだインターネットが普及しておらず、ユーザーグループは雑誌の投稿欄や口コミで知り合うのが一般的でした。

ある週末、東京で開催されたX68000ユーザーの勉強会に参加した時のことです。20人ほどの参加者が集まり、各自が作成したプログラムのデモンストレーションや技術的な情報交換が行われました。そこで出会った何人かとはその後も親交が続き、時には共同でソフトウェアを開発することもありました。

このコミュニティでの経験は、私の技術者としての成長に大きく寄与しました。一人で学ぶのとは違い、様々なレベルのユーザーから刺激を受けることで、自分の視野が広がっていくのを感じたのです。

プロフェッショナルとしての成長

入社2年目になると、会社でも徐々にパソコンを使った業務が増え始めました。当時はWindows 3.1が登場した頃で、企業でもPCの導入が進みつつあった時代です。X68000で培ったC言語の知識や、Human68kで学んだUNIX的な考え方は、こうした新しい環境への適応を大いに助けてくれました。

特に役立ったのは、X68000で行っていた低レベルなプログラミングの経験です。限られたリソースを最大限に活用する技術や、ハードウェアに近いレベルでのプログラミングスキルは、当時のパソコン環境では貴重な能力でした。

また、自宅で開発していたゲームやツール類は、会社の同僚にも好評で、時には業務用ツールの開発に応用されることもありました。X68000という「趣味」のマシンで学んだことが、確実に「仕事」に活かされていくのを実感した時期でした。

X68000から学んだこと

X68000との付き合いは約5年に及びました。その間、私はこのマシンから計り知れないほど多くのことを学びました。技術的な面ではもちろん、ものづくりの楽しさ、困難に直面した時の解決方法、そして何より「コンピュータとは何か」という本質的な理解を得ることができたのです。

特に印象的だったのは、X68000のマニュアルの充実度でした。技術資料が非常に詳細に記載されており、ハードウェアの仕様からOSの内部構造まで、あらゆる情報が公開されていました。これは現代の「ブラックボックス化」されたコンピュータ環境とは大きく異なる点で、当時のコンピュータがまだ「理解できる対象」であったことを示しています。

また、X68000のアーキテクチャは非常に洗練されており、一貫した設計思想が感じられました。後の時代の「なんでもできる」パソコンとは異なり、「プロフェッショナルが特定の用途に使う」という明確なコンセプトがあったからこそ、あのような完成度の高いマシンが生まれたのだと思います。

時代の変化とX68000の終焉

1990年代半ばになると、状況は大きく変化し始めました。Windows 95の登場によりPC/AT互換機が爆発的に普及し、また家庭用ゲーム機の性能が向上したことで、X68000のような高価な専用機の市場は急速に縮小していきました。

シャープもX68000シリーズの後継機種を開発しましたが、ついに1993年に生産を終了。約7年間にわたる歴史に幕を閉じたのです。私自身も、仕事でWindowsを使う機会が増え、自宅でのプログラミング環境も徐々にPCに移行していきました。

しかし、X68000で学んだ技術や経験は、その後も長く私のキャリアの基礎となりました。特に、ハードウェアを深く理解した上でソフトウェアを設計するという考え方は、後の組み込みシステム開発などで大いに役立つことになります。

現代におけるX68000の意義

令和の現在、X68000はすでに「レトロPC」の仲間入りをしています。しかし、その技術的な意義や歴史的な価値はますます高まっていると感じます。当時としては画期的だった多くの機能や設計思想は、現代のコンピュータにも受け継がれているからです。

また、X68000時代のプログラミング環境は、現代の開発者には想像もできないほど「裸のマシン」に近いものでした。OSの機能も最小限で、多くのことを自分で実装する必要がありました。このような環境でプログラミングを学んだ経験は、コンピュータの本質を理解する上で非常に貴重だったと思います。

最近では、X68000のエミュレータも開発され、当時のソフトウェアを現代のPCで動かすことができるようになりました。私も時折これらのエミュレータを起動し、昔作成したプログラムを動かしては懐かしんでいます。20代の頃の情熱や苦労が蘇り、初心に帰る良い機会となっています。

次世代へのメッセージ

現代の若い世代にとって、X68000は博物館の中の展示品に過ぎないかもしれません。しかし、あの時代のコンピュータと人間の関わり方には、現代でも学ぶべき点が多くあると私は考えています。

まず第一に、「技術への純粋な憧れ」です。X68000は高価で手が出ない存在でしたが、だからこそ私たちは必死に勉強し、少しでも近づこうと努力しました。現代のように何でも簡単に手に入る環境では、このような「憧れ」を感じる機会が少なくなっているかもしれません。

第二に、「制約の中での創造性」です。X68000は当時としては高性能でしたが、現代の基準から見れば非常に限られたリソースしかありませんでした。しかし、その制約があるからこそ、私たちは創意工夫を凝らし、限界を超えるソフトウェアを作り出そうとしたのです。

最後に、「ハードウェアとソフトウェアの密接な関係」です。現代の高レベルな開発環境では、ハードウェアを意識する機会が少なくなっていますが、X68000の時代はハードウェアを深く理解することが必須でした。このような低レベルな知識は、真の意味でコンピュータを理解する上で今でも重要だと思います。

おわりに

X1ターボから始まった私とシャープ製コンピュータとの物語は、X68000によってさらに深みを増しました。あの黒く輝く筐体に込められた技術者たちの情熱は、私のキャリアと人生に計り知れない影響を与えてくれました。

令和の現在、私はIT業界で30年近いキャリアを積んできましたが、X68000で学んだ「ものづくりの基本」は今でも私の仕事の根底に流れています。技術がどれだけ進歩しても、コンピュータと真摯に向き合う姿勢は変わらないと信じています。

もし今の若い世代がこの文章を読んでいるなら、一度でいいからX68000のような「本物のコンピュータ」と向き合ってみてほしいと思います。現代の便利な環境では味わえない、コンピューティングの本質的な楽しさと難しさを体験できるはずです。

私にとってX68000は単なるレトロPCではありません。青春の情熱が詰まった、かけがえのない相棒なのです。