還暦を迎えた今、ふとした瞬間に昭和50年代の夏の記憶が鮮やかに蘇ることがある。当時の中学生だった私にとって、夏休みは無限の可能性を秘めた特別な時間だった。友達と海や川で遊ぶ日もあれば、図書館に籠もる日もあった。そして、夕方になると多くの少年少女たちが一斉に耳を傾けていたのが、あの伝説的な短波ラジオ番組「ヤロウどもメロウどもOh!」だった。
出会い
最初にこの番組を知ったのは、クラスの無線マニアの友人からだった。「おい、短波で面白い番組があるんだ」と教えられ、半信半疑で聴いてみたのが始まりだった。当時、短波ラジオは少し特別な存在だった。一般的なAMラジオとは違い、遠くからの電波を拾う不思議さがあり、そこにはある種の冒険心をくすぐる要素があったのだ。
調整のダイヤルを慎重に合わせ、ザーザーというノイズの中から徐々に声が聞こえてくる瞬間の高揚感は、今でも忘れられない。そして、大橋照子と斎藤洋美の声が部屋に響き渡った時、私はすっかりこの番組の虜になってしまった。
大橋照子と斎藤洋美の魅力
当時の中学生だった私にとって、大橋照子と斎藤洋美は憧れの存在だった。担当曜日の二人は、リスナーである私たちを魅了してくれた。
大橋照子の落ち着いた声と物腰の柔らかさは、まるで年上の優しい姉のようだった。一方、斎藤洋美のはつらつとした明るさと時折見せる茶目っ気は、同世代の友人のようで親近感を覚えた。二人の個性が絶妙に調和し、番組に独特の魅力を生み出していた。
特に印象に残っているのは、リスナーからの手紙を読むコーナーだ。全国各地から寄せられる中学生や高校生の悩みや日常の出来事に、二人が真摯に向き合い、時には笑い、時には共感し、アドバイスを送る姿に心打たれた。自分の手紙が読まれるかもしれないという期待を胸に、何度も投稿したことを思い出す。
夏休みの特別な時間
「ヤロウどもメロウどもOh!」が特に輝いていたのは夏休みの期間だった。学校から解放され、夕方更かしも許される特別な季節。日中は宿題や遊びに忙しくても、夕方になると部屋に戻り、ヘッドフォンを装着し、短波ラジオに耳を傾ける時間を何よりも大切にしていた。
夏の蒸し暑い夕方、窓から入る風と共に流れる彼女たちの声は、何とも言えない安らぎをもたらしてくれた。時には扇風機の音とラジオのノイズが混ざり合い、それもまた夏の風物詩だった。
特に思い出深いのは、昭和54年の夏だ。私が中学3年生だった頃、番組では夏休み特別企画として「全国リスナー交流会」が実施された。全国から手紙やはがきが殺到し、リスナー同士の交流が活発に行われた。私も勇気を出して住所と名前を公開し、何人かのリスナーと文通を始めた。東京や大阪、北海道など、普段なら出会えない場所の同世代と繋がれることに、無限の可能性を感じていた。
番組が教えてくれたこと
「ヤロウどもメロウどもOh!」は単なるラジオ番組ではなく、私の青春の教科書でもあった。悩める思春期の心に寄り添い、時に叱咤激励し、多感な中学生たちの心を優しく包み込んでくれた。
大橋照子と斎藤洋美が放つメッセージには、いつも「自分を大切にすること」「他者を思いやること」という普遍的な価値観が込められていた。特に印象に残っているのは、いじめ問題に関する放送回だ。両親にも先生にも相談できない繊細な問題に、二人は真摯に向き合い、「あなたは一人じゃない」というメッセージを繰り返し伝えてくれた。
また、音楽の選曲も素晴らしかった。洋楽や邦楽、時にはインディーズバンドの曲まで、幅広いジャンルの音楽を紹介してくれたおかげで、私の音楽の趣味も広がった。今でも、ある特定の曲を聴くと、あの夏の夕方の記憶が鮮明によみがえることがある。
友情の絆
「ヤロウどもメロウどもOh!」を通じて知り合った友人たちとは、長く交流が続いた。特に、東京の高橋君とは30年以上の付き合いになる。当初は共通の趣味だった短波ラジオの話から始まり、やがて学校生活や恋愛、将来の夢など、あらゆることを手紙で語り合った。
高校生になってからは、お互いの住んでいる街を訪問し合ったこともある。初めて会った時の緊張感と、すぐに打ち解けた不思議な親近感は今でも忘れられない。そして大人になった今、SNSで再会し、昔話に花を咲かせることもある。このような長い友情の始まりが一つのラジオ番組だったというのは、何とも不思議な縁だと思う。
番組の終了と余韻
すべてのものには終わりがある。「ヤロウどもメロウどもOh!」もいつかは終了の時を迎えた。最終回を聴いた夕方は、涙が止まらなかった。大橋照子と斎藤洋美の最後の言葉、「あなたたちの青春に寄り添えて幸せでした」という言葉は、今でも鮮明に覚えている。
番組が終わった後も、その影響は私の中で生き続けていた。大学生になり、サークル活動でラジオ番組の制作に携わったのも、「ヤロウどもメロウどもOh!」の影響だった。そして社会人になってからも、人と接する際の基本的な姿勢として、あの二人の話し方や相手を思いやる気持ちを常に意識してきた。
還暦を迎えて
そして今、還暦を迎えた。鏡に映る自分の顔には確かに歳月の痕跡があるが、心の中には今でも15歳の少年が生きている。あの頃と変わらず好奇心旺盛で、新しいものに興味を持ち続けている。
先日、古いアルバムを整理していると、高校時代に撮影した写真の中から、短波ラジオと一緒に写っている自分の姿を見つけた。懐かしさと共に、あの時代の純粋な気持ちが蘇ってきた。思わず古いラジオを引っ張り出し、動くかどうか試してみたほどだ。
もちろん、あの番組は今は聴くことができない。大橋照子と斎藤洋美も、今頃はどうしているだろうか。同じように還暦を迎え、あの頃を振り返ることがあるのだろうか。そんなことを考えながら、ふとSNSで「ヤロウどもメロウどもOh!」と検索してみた。
すると驚いたことに、同世代のリスナーが作ったコミュニティページを発見した。今でも当時のリスナーたちが集まり、思い出を語り合っているのだ。懐かしい名前や、忘れていたエピソードを目にし、胸が熱くなった。
これからの日々に
還暦を迎えた今、改めて「ヤロウどもメロウどもOh!」から学んだことの価値を感じる。人と真摯に向き合うこと、自分の言葉で語ること、そして何より、好奇心を持ち続けることの大切さ。これらは年齢を重ねても色褪せない宝物だ。
孫に「おじいちゃんの若い頃はどんなだった?」と聞かれた時、きっと「ヤロウどもメロウどもOh!」の話をするだろう。短波ラジオのノイズの中から聞こえてくる声に耳を澄ませ、全国の見知らぬ友人たちと心を通わせていた、あの不思議で美しい時間の話を。
そして、今の若者たちには伝えたい。テクノロジーは変わっても、人と人とが心を通わせる喜びは変わらないということを。大橋照子と斎藤洋美が教えてくれたように、相手の言葉に耳を傾け、自分の言葉で語ることの大切さを。
「ヤロウどもメロウどもOh!」は終わったかもしれないが、その精神は私たちの中で脈々と生き続けている。還暦を迎えた今、あの日々に感謝しながら、これからの人生も好奇心を持って歩んでいきたい。
短波ラジオの周波数を合わせる指先の記憶と共に、昭和の夏の風を今も感じている。
(2025年4月、還暦を迎えて 記)