心臓はポンプ、血液は流体 〜医療を離れて数学・物理で心臓を考える〜

心臓疾患と向き合う日々 – 医学と物理学の交差点

筆者は8年前、拡張型心筋症と大動脈閉鎖不全症と診断されました。その日から筆者の生活は一変し、定期的な通院と投薬治療が日常となりました。最近、担当医からは2〜3年以内に開胸手術が必要になるだろうと告げられています。慢性的な疲労感や息切れと日々向き合いながら、医療という枠組みを超えた視点で自身の状態を理解しようという試みが始まりました。

医師との対話の中で、ふと興味深い考えが浮かびました。心臓や循環器系を純粋に医学的見地からだけでなく、物理学的な観点から「ポンプ作用と流体力学」として捉えることができるのではないか、と。筆者はこの発想に魅了され、自身の病状を異なる切り口から探求することにしました。

心臓をポンプとして再考する

心臓は本質的に、体中に血液を送り出すポンプです。工学的に見れば、心臓は圧力差を利用して流体(血液)を一定方向に移動させる装置と言えます。筆者の拡張型心筋症は、このポンプの筋肉層が薄くなり、効率よく収縮できなくなった状態です。大動脈閉鎖不全は、ポンプのバルブ(弁)が完全に閉じなくなり、一部の流体が逆流してしまう現象です。

もし心臓を単なるポンプと考えるなら、その性能は以下のパラメータで表現できるはずです:

  • 駆出率(一回の収縮でどれだけの血液を送り出せるか)
  • 仕事率(単位時間あたりのエネルギー消費)
  • 流量(単位時間あたりの血液量)
  • 圧力差(収縮期と拡張期の差)
  • 容積弾性率(心筋の硬さを表す指標)
  • エネルギー効率(消費エネルギーに対する有効仕事の比率)

筆者の最新の心エコー検査では、駆出率が正常値の55-70%に対して30%程度まで低下していることが判明しています。この数値を機械工学的に解釈すれば、機械としての心臓の効率が約30%低下していることになります。通常の遠心ポンプであれば、このような効率低下は早急な修理や部品交換の対象となるでしょう。

流体力学から見た血液循環

血管内を流れる血液は、流体力学の法則に従います。ナビエ・ストークス方程式を用いれば、理論上は血管内の血流を精密に計算できるはずです。実際、最新の医療シミュレーションでは、こうした計算に基づいて治療計画が立てられることもあります。

筆者の大動脈閉鎖不全の場合、バルブの不具合により圧力差が一部失われ、理想的な一方向の流れが妨げられています。これを数理・物理モデルとして表現すれば、「漏れのあるチェックバルブ」として扱えるでしょう。逆流率は約15%と診断されており、これは心臓が本来送り出すべき血液の15%が無駄になっていることを意味します。

血液の粘性も重要なパラメータです。筆者は血液凝固を防ぐため抗凝固薬を服用していますが、これは流体力学的には血液の粘性を下げる効果があります。粘性が低下すれば流れの抵抗が減少し、心臓の仕事量も理論上は減少するはずです。ポアズイユの法則によれば、管を通る流体の抵抗は粘性に比例するため、この治療法は物理学的にも理にかなっています。

レイノルズ数と乱流の考察

健康な血管内の血流は、基本的に層流です。しかし、血管の狭窄や弁の異常がある場合、局所的に乱流が発生します。筆者の大動脈弁からの逆流は、心臓内に乱流を引き起こしていると考えられます。この乱流はエネルギーを散逸させ、心臓の効率をさらに低下させる要因となっています。

血流のレイノルズ数(慣性力と粘性力の比)を計算すれば、筆者の大動脈弁付近での乱流の程度も理論的には予測可能です。医師は聴診器でこの乱流を「心雑音」として聞き取っていますが、これは流体力学的には非常に意味のある現象なのです。

物理モデルから得られる洞察

心臓を純粋な物理システムとして扱う視点は、筆者のような患者にとって非常に有益かもしれません。例えば:

  1. 薬物療法の効果を物理パラメータで評価できる(血管拡張剤による後負荷の減少など)
  2. 手術の必要性や緊急性を客観的に数値化できる
  3. 日常生活における心臓への負荷を定量的に理解できる
  4. 個人に最適化された運動療法の設計が可能になる
  5. 心臓のリモデリング(形状変化)のメカニクス的理解が深まる
  6. 人工弁や人工心臓の設計改良に貢献できる

筆者のケースでは、心臓の拡張により壁の張力が増加し(ラプラスの法則)、同じ圧力を生み出すために必要なエネルギーが増大しています。拡張した心室では、壁の厚さが減少するため、単位面積あたりの張力が増加します。この増加した張力が筆者の慢性的な疲労感の一因かもしれません。

エネルギー収支から見た心不全

心臓のエネルギー効率を考えると、心筋細胞のミトコンドリアで生成されるATPのどれだけが有効な血液駆出に変換されるかが重要です。健康な心臓のエネルギー変換効率は約20-25%とされていますが、筆者の場合はおそらくそれを下回っているでしょう。

残りの75-80%は熱として放出されますが、この熱生成が体温調節にも寄与しています。筆者の場合、効率の低下により余分なエネルギーが必要となり、安静時の代謝率が上昇しているかもしれません。これが常に疲れを感じる一因となっている可能性があります。

心臓の電気力学的側面

心臓の収縮は電気信号によって制御されています。この電気的活動と機械的収縮の関係も物理学の範疇です。筆者の心電図検査では軽度の伝導障害が見られますが、これは電気信号の伝播速度が低下していることを意味します。物理学的には、これは導体内の電流伝導における抵抗の増加と類似しています。

興味深いことに、心筋細胞は電気化学的振動子としてモデル化することも可能です。集団的な振動子の同期現象として心臓のリズムを捉えると、不整脈は同期の乱れとして理解できます。筆者はまだ重篤な不整脈は発症していませんが、将来的なリスクとして注視しています。

学際的アプローチの可能性

筆者は素人ながらも、医学と工学・物理学の境界線が曖昧になりつつあることに希望を感じています。心臓病専門医だけでなく、流体力学の専門家や計算機科学者も治療チームに加わる未来が来るかもしれません。

実際、最新の医療機関では計算流体力学(CFD)シミュレーションを用いて手術計画を立てることもあります。筆者自身の開胸手術に向けて、このような先端技術が活用されることを期待しています。個人の解剖学的特徴に基づいた血流シミュレーションにより、最適な弁置換術や弁形成術の選択が可能になるでしょう。

日常生活における物理学的視点の応用

この物理学的理解は、筆者の日常生活の決断にも影響を与えています。例えば、高所への移動は気圧の低下により心臓への負担が増加することが分かっています。これは単純なボイルの法則から導くことができます。また、温泉などの高温環境では血管が拡張し、心臓のポンプ作用への負荷が変化します。

運動強度も流体力学の観点から考慮しています。中強度の有酸素運動は末梢血管の拡張を促し、心臓への後負荷(抵抗)を減少させる可能性があります。一方で、高強度のレジスタンス運動は一時的に血圧を急上昇させ、弱った心筋に過度の負担をかける恐れがあります。

未来の治療への期待

物理学的アプローチは、次世代の心臓治療にも影響を与えるでしょう。例えば、3Dプリンティング技術を用いた患者固有の人工弁の作成や、流体力学に基づいた最適形状の設計などです。また、人工心臓や補助循環装置の効率向上にも、物理学的知見が不可欠です。

筆者自身の将来の手術においても、このような学際的アプローチが取り入れられることを願っています。医師と工学者が協力して筆者の心臓の物理モデルを作成し、最適な手術方法を選択してくれることを期待しています。

おわりに:新たな理解の地平へ

医学と物理学の交差点に立ち、新たな視点で自分の病気と向き合うことは、筆者にとって単なる知的好奇心以上の意味を持ちます。それは病気への理解を深め、治療の選択肢を広げ、そして何より病気と共生していくための新たな枠組みを提供してくれるのです。

開胸手術を前に、自分の心臓を単なる「病気の臓器」としてではなく、最適化可能な精密機械として捉え直すことで、少し前向きな気持ちになれる気がします。この試みが、同じような状況にある他の患者さんにも何らかの示唆を与えられれば幸いです。

医学の進歩は、しばしば他分野との融合から生まれます。筆者のような一患者の視点が、医学と物理学の協働を促進する小さなきっかけになることを願いながら、これからも自身の「ポンプ」と共に歩んでいきたいと思います。