近松門左衛門(1653-1725)の虚実皮膜論から見る令和
令和の時代に生きる私たちは、かつてない程度にバーチャルとリアルの境界線が曖昧になった世界を生きています。この現象を理解する上で、近松門左衛門の虚実皮膜論は驚くほど示唆に富んだ視点を提供してくれます。
近松は「虚実皮膜の間」という概念で、芸術における真実と虚構の微妙な関係性を説きました。彼によれば、優れた作品とは現実(実)と想像(虚)の「皮膜」、つまり薄皮一枚ほどの微妙な境界線上に存在するものだと言います。
SNSと虚実の境界
令和時代のSNSを見てみましょう。インスタグラムやTikTokでは、人々は日常の一瞬を切り取り、フィルターを通して理想化された形で発信します。これは、まさに近松の言う「虚実皮膜の間」そのものではないでしょうか。完全な虚構でもなく、かといって純粋な現実でもない、その境界線上にある表現なのです。
VTuberと現代の演劇性
バーチャルYouTuber(VTuber)の存在も、虚実皮膜論の現代的な具現化と言えます。デジタルの装いを纏いながらも、その背後には確かな人間の感情と魂が宿っています。近松が人形浄瑠璃で追求した「人形でありながら人間らしさを表現する」という理念は、VTuberという文化の中に新たな形で受け継がれているのです。
テレワークと実在感の再定義
コロナ禍以降、定着したテレワークという働き方も、虚実皮膜論の視点から興味深い考察対象となります。Zoomやテレビ会議を通じたコミュニケーションは、物理的な実在性は希薄でありながら、確かな人間関係や仕事上の成果を生み出しています。これもまた、虚と実の境界線上に生まれた新しい現実と言えるでしょう。
令和における「リアル」の意味
近松の虚実皮膜論は、単なる芸術論を超えて、人間の認識と表現の本質を突いていました。令和時代に入り、メタバースやAIの発展により、「リアル」の意味そのものが問い直されています。この時代に必要なのは、虚と実を単純に区別することではなく、その境界線上に生まれる新しい価値や可能性を見出す視点なのかもしれません。
近松が江戸時代に見出した虚実の関係性は、令和の時代により一層その真価を発揮しているように思えます。私たちは今、虚実の皮膜の上で綱渡りをしながら、新しい文化や生活様式を模索しているのです。その意味で、近松の思想は令和を生きる私たちへの重要な示唆を与えてくれると言えるでしょう。