令和7年2月、石破茂首相の国会答弁を聞きながら、筆者はふと「この人は一生涯、父・石破二郎氏を超えることはできないのではないか」と思いました。
石破茂氏は、長年「政策通」として知られてきた政治家です。軍事や安全保障、地方行政に関する造詣は深く、過去のインタビューでも、専門知識に裏打ちされた冷静な分析が光っていました。しかし、それはあくまで評論家としての強みであり、いざ「決断する側」に立ったとき、彼の言葉は不思議と空回りしているように感じます。今回の国会答弁でも、理路整然とした説明こそありましたが、国民の心に響くような「力強い言葉」はありませんでした。むしろ、政策論議を細かく語れば語るほど、彼自身のリーダーシップの弱さが露呈してしまったように思います。
さらに問題なのは、彼の「優柔不断さ」と「人望のなさ」です。
石破氏はこれまで何度も自民党総裁選に挑戦してきましたが、一度も勝てませんでした。国民の間では「正論を語る政治家」としての人気があったにもかかわらず、党内ではまったく支持が広がりませんでした。その最大の理由は、彼の政治姿勢が「仲間を作る」ものではなく、「敵を増やす」ものであったからです。彼は政策論争では容赦なく相手を論破し、時には味方に対しても批判的な言動を繰り返してきました。確かに筋を通すことは重要ですが、政治はチーム戦です。石破氏はそのことを理解しているようには見えません。
また、彼は長年「反主流派」として振る舞いながらも、いざとなると決断を避けることが多かったように思います。自民党を離党するべきかどうかを何度も迷いながら結局残留し、野党との連携も模索しながら実現せず、政局が動くたびに「結局どちらにつくのか?」と周囲を困惑させてきました。今回の首相就任に至るまでの過程でも、彼の「決断の遅さ」は相変わらずでした。結果として、国民には「この人についていけば未来がある」という期待感を抱かせることができませんでした。
一方、父・石破二郎氏は、鳥取県知事としての統率力と胆力を兼ね備えた政治家でした。彼は決して多弁ではありませんでしたが、必要なことは簡潔に、しかし力強く語りました。その言葉には迷いがなく、聞く者に安心感を与えました。1970年代から80年代という、地方自治が今ほど国の補助金に頼れなかった時代にあっても、県政を安定的に運営し、住民から厚い信頼を得ていました。
この「決断力」と「胆力」の差こそ、石破茂氏が父を超えられない最大の理由ではないでしょうか。例えば、歴代の名宰相と呼ばれる政治家たちは、いずれも「決めるべきときに決める力」を持っていました。吉田茂氏は戦後日本の進路を決定づけるサンフランシスコ講和条約を締結し、中曽根康弘氏は国鉄民営化を断行しました。彼らは決して全員が雄弁なわけではありませんでしたが、いざというときに「これが私の決断だ」と言い切る胆力がありました。
その点、石破茂氏はどうでしょうか。自民党の中では常に「異端児」として扱われ、党内での立ち位置が揺れ続けました。野党からは「話が通じる保守」と評価される一方、党内では「結局どっちつかずの人」という印象を持たれてしまいました。政局の流れを読んで慎重に立ち回る姿勢は、ある意味で現代政治においては合理的かもしれません。しかし、国民が求めるのは、時に泥をかぶってでも決断し、道を切り開くリーダーです。
さらに、彼には「ビジョン」が決定的に欠けています。たとえば、経済政策に関しても、「地方創生」を掲げるだけで、具体的な成長戦略を示せていません。外交政策でも、中国やアメリカとの関係について多くを語るものの、具体的に日本をどのような立場に持っていくのかが見えてきません。彼の発言を聞いていると、「問題点の指摘」は得意でも、「解決策の提示」ができていないという印象が強いのです。
令和7年の今、日本はかつてない課題に直面しています。経済の停滞、少子高齢化、国際社会での立ち位置の不安定さ。こうした問題に対処するためには、政策論争以上に「政治家の覚悟」が問われる時代です。しかし、今回の答弁を聞いた限りでは、石破茂氏がその覚悟を持っているようには感じられませんでした。父・石破二郎氏のように「俺についてこい」と言えるだけの胆力を、彼は持ち合わせていないのではないでしょうか。
政治家にとって、知識や理論は重要です。しかし、それ以上に必要なのは、国民を引っ張るだけの決断力と、責任を背負う覚悟です。残念ながら、石破茂氏にはそれが感じられません。彼は政策通であり、理論家であり、優れた評論家であるかもしれませんが、「決断する政治家」としては父の域には到底及ばないと筆者は考えます。