1980年代のデジタル革命
1980年代の日本、家電量販店のパーソナルコンピューター売り場には様々なメーカーのカラフルなパッケージが所狭しと並んでいました。その中でひときわ存在感を放っていたのが「MSX」という統一規格を採用したパソコン群でした。今日はこの日本で特に隆盛を極めたMSXパソコンが生み出した独特の文化について掘り下げてみたいと思います。
MSXの誕生 – 規格統一の革命児
MSXは1983年、マイクロソフト社とASCII(アスキー)社の主導により誕生しました。当時のパソコン市場は各メーカーがそれぞれ独自の規格で製品を作り、互換性が皆無という状況でした。そこでマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツと日本のASCII社の西和彦が手を組み、家電メーカーにも参加を呼びかけ「MSX」という統一規格を打ち出したのです。
「MSX」の名称の由来には様々な説がありますが、「Microsoft Extended」の略称とする説や、「Machines with Software eXchangeability」(ソフトウェアの交換可能な機械)の略とする説などが有力です。いずれにせよ、その目的は明確でした。異なるメーカーの機種間でもソフトウェアの互換性を確保し、市場の混乱を収束させることだったのです。
日本での爆発的普及
日本では松下電器(現パナソニック)、ソニー、日立、東芝、三菱電機、ヤマハ、パイオニア、カシオ、サンヨー、富士通、シャープなど当時の名だたる電機メーカーがこぞってMSX規格のパソコンを発売しました。これほど多くの大手メーカーが同一規格に参入したのは極めて異例のことでした。
欧米では主にコモドール64やアップルⅡ、IBMのPCといった機種が人気を博していましたが、日本ではMSXがパソコン市場の一大勢力となりました。特に第一世代のMSXから第二世代のMSX2へと進化していく過程で、日本独自のパソコン文化が花開いていくことになります。
ゲームで広がるMSXの裾野
MSXの普及に最も貢献したのは、間違いなくゲームの存在でした。当時、家庭用ゲーム機としてはファミリーコンピュータ(ファミコン)が絶大な人気を誇っていましたが、MSXはそれよりも高度なゲームが楽しめる「上級者向けのゲーム機」という位置づけでもありました。
コナミやハドソン、エニックス(現スクウェア・エニックス)といったゲームメーカーがMSX向けに数多くの名作を送り出しました。「グラディウス」「沙羅曼蛇(サラマンダ)」「メタルギア」といった今日まで続く人気シリーズもMSXから始まったものです。
特筆すべきは、コナミの小島秀夫が手がけた「メタルギア」シリーズの第一作がMSX2向けに開発されたことでしょう。後にPlayStationで「メタルギアソリッド」として世界的な大ヒットを記録することになるフランチャイズの原点がここにあります。
プログラミング学習の入り口としてのMSX
MSXの大きな特徴は、電源を入れるとすぐにMicrosoft BASIC言語の環境が立ち上がることでした。これは当時の多くのパソコンに共通する特徴でもありましたが、MSXでは特に雑誌やテレビなどのメディアを通じてBASICプログラミングの普及が図られました。
1980年代後半には、NHK教育テレビ(現Eテレ)で「プログラミング入門」という番組が放送され、MSXを使ったBASICプログラミングが紹介されました。また、「I/O」「マイコンBASICマガジン」「Oh!X」などの雑誌では毎月のようにMSX向けのプログラムリストが掲載され、それを自分で打ち込んでゲームやユーティリティソフトを作る文化が生まれました。
この「プログラムリストを打ち込む」という文化は、今考えるとかなり特殊なものです。数十ページ、時には百ページを超えるプログラムコードを、一文字一文字間違えないように入力し、動作するソフトウェアを完成させます。途中でミスをすれば正しく動かないため、デバッグの技術も自然と身についたものです。こうした経験を通じて、プログラミングの基礎を学んだ世代は数多いです。
音楽とMSX – YAMAHAの貢献
MSXの文化を語る上で忘れてはならないのが音楽との関わりです。特にYAMAHAが開発したMSX2「CX5M」シリーズは、同社の音源チップFM音源を搭載し、当時としては高品質な音楽を演奏できる能力を持っていました。
YAMAHAはMSX向けに「YRM-101」という音楽ソフトを販売しました。これは今で言うDTM(デスクトップミュージック)の先駆けとなるものでした。また、MIDI端子を標準装備したパソコンとしても先進的で、シンセサイザーとの連携も可能でした。
当時の若いミュージシャンたちの中には、このYAMAHAのMSXを使って作曲や編曲の技術を磨いた人も多いです。今日のJ-POPシーンを支える作曲家やアレンジャーの中にも、MSXで音楽制作を始めた人が少なくないのです。
通信文化とMSX
インターネットが一般に普及する前から、MSXはモデムを接続してパソコン通信を楽しむプラットフォームとしても活用されました。「ASCII-NET」「NIFTY-Serve」といった商用のパソコン通信サービスには、MSXユーザーのためのフォーラムが設けられ、情報交換や交流の場となっていました。
また、個人が運営する「BBS(Bulletin Board System)」と呼ばれる電子掲示板も数多く存在し、地域ごとにコミュニティが形成されていきました。MSXは比較的安価で入手できるパソコンだったため、多くの若者がこうした通信文化に触れる入り口となった意義は大きいです。
同人文化とMSX
日本独特の文化として知られる「同人誌」や「同人ソフト」の世界にもMSXは大きな影響を与えました。コミックマーケット(コミケ)などの同人誌即売会では、MSX向けのゲームや実用ソフトを制作・販売する個人やグループが多数活動していました。
プロのゲームクリエイターの中にも、MSXの同人ソフト制作からキャリアをスタートさせた人は少なくありません。例えば、後に「東方Project」で知られるようになるZUN(通称・博麗神主)もMSXで同人ゲーム制作を始めたクリエイターの一人です。
この文化は後の「インディーゲーム」の先駆けとも言える存在で、商業ベースに乗らない個人の創作活動がコンピューター文化の中で花開いた重要な例と言えるでしょう。
MSXの衰退と残した遺産
1990年代に入ると、MSXは徐々に市場から姿を消していきます。より高性能なPC-98やX68000といった機種の台頭に加え、WindowsパソコンやMacintoshの普及により、MSXの優位性は失われていきました。
しかし、そのレガシーは日本のデジタル文化の中に確かに残っています。先に述べたゲーム文化、プログラミング文化、音楽制作、同人文化など、MSXが育んだ様々な要素は形を変えながら現在も続いているのです。
また近年では、かつてのMSXユーザーたちがノスタルジーからMSXを再評価する動きも見られます。エミュレーターを使って往年のゲームを楽しんだり、実機を入手してコレクションに加えたりする「MSXマニア」も少なくありません。さらに、MSXの仕様を現代的に再実装した「MSX復刻版」や「1chipMSX」などのハードウェアも開発されています。
おわりに~MSXが残した足跡
MSXは単なるパソコン規格を超えて、日本のデジタル文化を形作る重要な要素となりました。特に1980年代から90年代初頭にかけて、多くの若者にとってデジタル世界への入り口となり、創造性を刺激する存在でした。
グローバルに見れば、日本と韓国、スペイン、オランダ、ブラジルなど限られた国でしか普及しなかったMSXですが、日本においては特に強い影響力を持ち、独自のサブカルチャーを形成しました。このMSX文化は、日本が世界に誇るゲーム産業やアニメーション、音楽産業の基盤を支える人材を育てる土壌ともなったのです。
今日、スマートフォンやタブレットでカジュアルにプログラミングやゲーム開発ができる時代になりました。しかし、MSXの時代に若者たちが感じた「コンピューターで何かを創り出す」という興奮は、現代のデジタルクリエイションの原点として今なお色褪せることがありません。
日本のデジタル文化の歴史を語る上で、MSXの存在は決して小さくないのです。