三島由紀夫生誕100年:その功績と罪過を考えます

2025年1月14日、日本文学史に大きな足跡を残した作家・三島由紀夫の生誕100年を迎えました。戦後日本を代表する文豪として、その圧倒的な文学的才能と多彩な活動は今なお多くの人々を魅了し続けています。しかし同時に、その晩年の政治的行動と劇的な最期は、現代においても様々な議論を呼び起こします。生誕100年という節目に、三島由紀夫の功績と罪過について改めて考えてみたいと思います。

文学的功績:比類なき美学と表現力

三島由紀夫の最大の功績は、何といってもその卓越した文学的才能にあります。16歳で「花ざかりの森」を発表し、戦後は「仮面の告白」で文壇の寵児となった三島は、「潮騒」「金閣寺」「豊饒の海」四部作など、日本文学史に燦然と輝く作品群を残しました。

その文体は典雅でありながら鋭く、伝統的な日本美と西洋的な知性を融合させた独自の美学を確立しました。特に「美と暴力」「生と死」「伝統と近代」という相反するものの間で揺れ動く人間の葛藤を描き出す手腕は、国際的にも高く評価されています。ノーベル文学賞の有力候補として三度ノミネートされたことも、その文学的評価の高さを物語っています。

また、小説だけでなく、戯曲、評論、短歌など多方面での活躍も特筆すべきでしょう。特に近代能楽集は、伝統芸能と現代文学を融合させた革新的な試みとして高く評価されています。

文化的貢献:多方面での活躍

三島は「文筆家」という枠を超え、俳優、モデル、映画監督、武道家など多方面で才能を発揮しました。この多彩な活動は、戦後日本の文化シーンに新たな風を吹き込みました。特に肉体改造に取り組み、ボディビルダーとしての姿を雑誌に掲載するなど、当時としては前衛的な「身体性」を表現しました。

また、歌舞伎「椿説弓張月」の復活上演に尽力するなど、日本の伝統文化の再評価にも貢献しました。三島の活動は、戦後の混乱期に日本人としてのアイデンティティを探求する試みでもありました。

政治的言動の問題:過激な国粋主義への傾倒

しかし、三島の晩年の政治的言動については、厳しい批判を免れません。特に1968年に「盾の会」を結成し、憲法改正と自衛隊の国軍化を主張するようになった三島の思想は、次第に過激な国粋主義へと傾斜していきました。

三島が唱えた「天皇中心の国家観」や「武士道精神の復権」は、現代の民主主義社会においては到底受け入れがたい前近代的価値観です。また、その言説には排外主義的な要素も見られ、多様性を重んじる現代社会の価値観とは相容れません。

特に1970年11月25日、市ヶ谷の自衛隊東部総監部での「クーデター」未遂事件と割腹自殺という最期の行動は、暴力的手段による政治的主張の表明であり、民主主義の根幹を揺るがす行為として批判されるべきです。いかに「美学」の名のもとであっても、暴力的手段を肯定することはできません。

また、三島の政治思想には、実際の社会状況や歴史的文脈を無視した観念的な側面が強く、現実的な政治論としての説得力を欠いていました。それは文学的想像力の産物ではあっても、具体的な社会変革の指針としては不十分だったと言わざるを得ません。

複雑な遺産:現代における再評価

三島由紀夫の生誕100年を迎えた今、私たちはその功績と罪過をどのように評価すべきでしょうか。

文学者としての三島の才能と業績は、疑いなく日本文学史に燦然と輝いています。その美意識と表現力は、今なお多くの読者を魅了し、世界文学の中でも確固たる地位を築いています。

一方で、その政治思想と最期の行動については、現代の視点から批判的に検討する必要があります。特に排外的なナショナリズムや暴力的手段の肯定といった側面は、現代社会においては受け入れがたいものです。

しかし、だからといって三島の文学的価値が損なわれるわけではありません。むしろ、その複雑で矛盾に満ちた人物像こそが、三島文学の本質であり魅力でもあります。

三島の生誕100年を機に、その功績を称えつつも、罪過を直視する冷静な目が必要でしょう。過度に美化することなく、また一方的に断罪することもなく、複雑な遺産としての「三島由紀夫」を受け止め、次の時代に引き継いでいくことが、私たち現代人の役割なのではないでしょうか。